父親が最期にくれた宿題について

 自分の父親は、2年弱前に、ガンによって70歳に満たない年齢で亡くなった。
 当初の気持ちを忘れないように、という思いでなるべく早く感じたことを整理したかったが、「書いては消し」の繰り返しで、できていなかった。時間とともに、この3連休でようやく整理できた気がしたので、自らの備忘として公開する。

病の発覚から最期を看取るまで

  父から突然、「高速道路で交通事故を起こした」とLINEで連絡があったのが、2017年7月頃。その後、歩行がおかしくなりCT撮影をしたところ、複数の脳腫瘍が発見され、開頭手術を行ったのが8月であったため、当人にとっても本当に目まぐるしい変化だったと思う。 (今思えば交通事故も居眠り等ではなく脳腫瘍のせいで気を失っただけなのだと分かる。)
 父は自営業であったため、決算処理の手伝いやお見舞いのために8月・10月あたりに複数回、関西に帰省したが、手術の影響等でまともに会話することは、今思えばほぼなかった。(12月に昇進するかも!と報告したくらい。結局は昇進せず、嘘をついてしまったのだが。)
 ただ、印象に残っているのは父の知人が病院を訪れたときに、そのときは笑顔で会話していた父が、知人が帰宅後に「あいつらは元気でええなぁ」とつぶやいていたことだけだ。

 兄から突然電話がかかってきたのが、2017年11月20日。夕方までクライアント打合せをしていたため、折り返しの電話をしたのは、客先からオフィスに戻るタクシーの中で、19時を過ぎていた。
細かい会話の内容は記憶していないが、趣旨は「俺から電話している意味を考えろ、今すぐ帰ってこい」ということ。当日中に終わらせるべき仕事が完了していなかった私は後ろ髪をひかれる思いであったが、何も言わずにタクシーを東京駅に向かわせてくれた当時の上司には感謝している。

 病院についたのは、日付が変わって、深夜1時を過ぎていた。すでに、人工呼吸器をつけていないと生命が保てない状態であったため、当然父とは会話さえできなかったが、帰ってきたことを伝えたら、ちょっとだけ笑った気がした。(きっと気がしただけなのだと思うが。)
 同日朝8時51分に父は息を引き取った。

父親の死を受けて考えたこと

 自分の父親は、とても自由で、横柄で、現実的な人だった。
 毎週土日は一緒にランチしてから15時過ぎに出社していたし、自分の欲しいもの・食べたいものは適当な理由をつけて、必ず手に入れていた。
 また、きっと勉学的には優れていなかったのだと思うが、世の中のことをよく私に説いていた。小学校低学年のときに、「泥棒に入られて金銭を盗まれても、お前の知識やスキルが盗まれることはない。だから勉強しろ。」と言われたことは、未だに鮮明に覚えているが、小学生の息子に言うことではなかったと思う。

 そんな風に自由に好きなように生きていたと思われる父が、知人のことを「元気でいいなぁ」と羨んでいた理由が、未だに分からない。もしかしたら、好きなように生きているように見えて、そうではなかったのか。または、好きなことをしていても真に達成したいことが心にあったのか。

 いろいろなことを教えてくれた父だったが、「後悔のない最期を迎えるための生き方」については教えてくれなかった。大きな宿題を最後にもらった気がする。

最後に

 家族の形は色々で、別に親孝行をしようとか、家族との時間を大切にしようとか、そんなことを言うつもりはない。
 ただ、自分は上京してから家族と会うことも減り、突然の親の死を受けて、沢山後悔した。昇進の報告は1年後にできたが、結局親孝行は全くできなかった。
 前向きに捉えられたのは周りの方々の支えのお陰だと思うが、この経験が他の誰かの考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはない。