冠婚葬祭は近しい人のためにあるのではないかという話

先日、26歳になって初めて、結婚式に招待されて出席してきました。会社の後輩だったので、あくまで「同じ会社の先輩」という立ち位置でしたが、少し考えたことがあったので、本ブログで整理します。
※ちなみにサムネは礼服をきている当方をかっこよくイラストにしてもらいました(笑)

結婚式へ出席して思ったこと

式での演出や、披露宴での細やかな趣向等、当事者の思いを具現化した、大変素敵なひと時でした。参加者の心の中に留めておきたい思いがあるので、詳しい内容は割愛しますが、後輩の素敵な笑顔がとても印象に残っています。

きっと当日までの間に綿密な打合せやヒアリングを重ね、ウエディングプランナーの方や新郎・新婦を含めて、様々な方が準備をされたのだろうということがビシバシと伝わってきました。

ご親族の方も、新郎や新婦の人生を最も身近で支えてきた方として、どれほど嬉しいと感じられているかは、全く面識のない私ですら、分かるほどでした。
(我々会社関係者一人一人にお酒を注ぎに回る等、もっと式を楽しむことに専念してほしいなと思うくらい気を遣われていましたが。。)

その時ふと、 全く性質が異なるものであるにも関わらず、自分の父親のお葬式のことを思い出しました。

父親を弔ったときのこと

私の父は2017年11月に肺がんで亡くなりましたが、病の発覚から3・4か月ほどで亡くなったことから、当時の私はとても複雑でした。

父親に何もしてあげられなかった後悔と、そのような後悔を晴らす機会はもうないという絶望感で一杯だったことを鮮明に覚えています。

ただ、棺の中に入れるものを考える際に、「好きだった煙草とかゴルフウェアを入れてあげたら喜ぶかな」とか色々考えていると、これまで親孝行をしてこなかった罪が、軽くなるような気がしたのです。

2つの経験の共通点

「様々な方が、当事者のために精一杯準備することで、当事者は勿論、周りの人にとっても、これまでの出来事を清算する機会となる」

これが「冠婚葬祭」という行事に共通する性質なのかなと、今では思います。

当事者は勿論ですが、それと同等か、それ以上に、親族等の近しい人のためにあるものなのではないかと思います。

最後に

「冠婚葬祭」というイベントは特別です。対象者に対する感謝や労いを精一杯伝えられるよう、専門家が手助けしてくれます。

しかしながら、そのようなイベントに頼らずとも、日常生活の中で感謝や労いを伝えられたらいいなと、自戒を込めて強く思う今日この頃です。