経緯
「本当に自信家だな、てめえは」と言われることが、大学生になって以降、とても多い。
世の中には、「自信を持てなくて悩んでいる大変優秀な方」が多いにも関わらず、だ。学習支援事業や人材育成という分野に数年間、身を置いた者として、自己肯定感の醸成には自分も興味があり、アカデミックな知見からの考察は読んできた。
今回は、そういったアカデミックな観点はあえて無視して、これまでの経験から自信を身につける方法を真剣に考えてみることにした。
結論
結論だけを読みたい方のために、最終的な思いだけを先に書くと、「自分との約束を守ったら自分で褒める」ことでしか、自信を得ることはできないというのが、個人的な仮説である。
ここまでで、すでに自分が知っていることと同じだ、あるいはすでに学んでいることの焼き増しだと感じた方は、そこまで有益に感じえないと思うため、読まなくて良いと思う。
結論導出までの沿革
個人的経験の概要
自分は、有難いことに中学校から私立学校に通わせてもらい、大学まで関西の一貫校で過ごした。
中学校2年生のとき、ひょんなことから首席になってしまい、当時バカだった自分は、「成績が優等である自分」でいないと、周りから人がいなくなってしまう恐怖に駆られた。(この一連の経験から自分のアイデンティティについて考えたこともあるのだが、ここでは割愛する。)
そこから、実に5年間「学習に対するモチベーションがない」中で、ただ一番を取るためだけに勉強した。日々の授業では、意味もないまとめノートを作り、数学は答えを暗記するまで解きなおし、英語で満点を取るためだけに発音記号まで暗記した。
それでも、親や教師含めて、周りからは様々なことを言われた。「そこまでやることに何の意味があるの」、「100点を取れないとは、あなたも鈍ってきているのではないか」等、当事者は何気なく放った一言に対して、過敏に反応している自分がいた。「自分だって、別にここまでやりたくてやっているわけじゃないのに」と。
こんなことを誰かに相談できるわけでもなく、結局そこから、周りに機嫌を取ってもらうのではなく、「自分で自分を褒め」ながら、中高ともに首席で卒業した。
個人的経験を踏まえて思うこと
上記の体験から、自信を醸成していったと感じるが、今になって振り返ると、以下2つのプロセスを繰り返すことで自信がついたのかなと思う。
- 自分で達成したか否かを判断可能な目標を設定すること
- 達成できた場合には、自分で自分を褒めること
他者は、自分のことを見ているようで見ていない。また、矛盾した言い方になるが、自分のことを見ていないようで見ているときも存在する。
だからこそ、自分で自分を肯定するプロセスが大切なのだと思う。
自信を持てない方に向けて
意識的に経験を積まないと、自信を持てないのは当たり前のことだと思う。
なぜなら他者は、 自分のことを見ているようで見ておらず、また自分のことを見ていないようで見ているときもあるからだ。
だからこそ自信を持ちたい人は、以下2つを意識的に実践すれば良いと考えている。
小さな目標設定を短い頻度で行う
7:30に起きる、午前中に部屋の掃除をする、親に誕生日おめでとうラインをする。内容は何でもいいと思う。最初は、当然できるようなことを設定してもいい。
ただ、実行できたか否か自分で判断できる小さな目標を、なるべく細かい頻度で設定する(最短は毎日)ことが大事だと感じる。
目標が達成出来たら褒める
そして、小さな目標を設定できたら、盛大に自分を褒めてあげてほしい。こんな小さなことで!?と周りがドン引きするレベルでいいと思う。
だって、自分を真の意味で大切にできるのは、自分しかいないからだ。
終わりに
そもそも自信は必要なのか。正直、自分でも結論を出せていない難しいテーマだと思う。
少なくとも思うことは、自信がもてないことを後ろめたく感じる必要はないということだ。なぜなら、自信が持てないことによって発揮している自分の強みも絶対にあるはずだから。
ただ本稿が、自信を持ちたいと思っている方に向けたきっかけとなれば、嬉しいなと思う。