退屈な生活から抜け出したい人に向けて

社会人4年目になる昨年末に、これまでの社会人生活を振り返って、危機感を感じたことがあったので、当該危機感から考えたことを整理します。

日常生活がルーティンで回っている

「年齢とともに時の流れを感じるのが早まるのは、同じ経験を繰り返すことが増えるから」とはよく言われることですが、まさに自分もそんな感じでした。

月曜日から金曜日までは毎日8時間程度働いて、そこから少し多めに働くか、ビリヤード場に行く。土曜日の午後は所属しているビリヤードチームの試合に出て夜まで練習。日曜日は疲れて寝て過ごすか、しないといけない掃除・洗濯をする。そして、また新たな月曜日からの日々を過ごしていく。

そのような生活を52回くらい続けて年末を迎えている、ということに気づいたとき、これを定年まで2,000回くらい続けることへの漠然とした焦りを感じました。

「先の生活が見える」ことへの焦り

仕事面では、大変多くのチャンスを与えていただき、有難いことに同年代と比べても、様々な経験を積ませていただいていると思います。

一方で、そのような素晴らしい職場にいても、「きっと3年後はXXという役職について、〇〇のような業務を担っているのだろうな」という想像がついてしまう側面もあります。(これはもう仕方のないことだと思います。)

スマートフォンが登場したのが10数年前であることを考えると、社会の変動は「目まぐるしく」、かつ「予測不可能」であることは理解できると思います。社会が予測不能、かつ急激に変わっているのに、将来の自分が予測可能であることに対して、危機感を感じました。

上記は、「今の会社組織が予測可能である」ことが問題の本質ではなく、「予測可能な環境で安住している自分の価値観」が問題であると感じるようになりました。

変化を感じられるような行動を

仕事を変える、独立するといった「生活の根幹を揺るがす行動」は中々ハードルが高く、かつ慎重に検討すべきことであると考えます。(日本が資本主義である以上、お金がないと生活することができないためです。)

一方で、自分の価値観を変え、未来を予測不可能なものにするためには、「やったことのないことをやってみる」しかないと思うのです。

例えば、「仕事で身につけた会計知識で独立を考えている知人のキャッシュフローを考えるのを手伝う」、「趣味で書いているイラストをSNSに挙げてみる」等、生活に支障のない範囲で新たな行動を起こすことは可能です。

意外と自分が仕事や私生活で当たり前に身につけた知識・スキルは、他者から見ると求めている貴重なものであるケースは、少なくないと思います。

自分自身、ブログを始めてみたり、Pythonを使ってツールを作ったりするようになったのも、自らの仮説を検証するためのものですが、詳細は別で書ければと思っています。

生活を変えていけるのは自分しかいない。小さな一歩かもしれませんが、新たな行動を始めることで、退屈な生活を脱する一歩になるのではないかと考えます。

終わりに

生き方は様々で、変化のない生活が悪いとか、そういう話をしたいのではありません。ただ、ぼんやりと違和感を感じていた人にとって、本稿が考えるきっかけとなれば嬉しいなと思います。